教育関連記事
寺脇先生の教育論≪寺脇研先生の教育論≫【第46回】学びの保障が活きるのは,学ぶ理由があってこそ

 生涯学習社会とは「いつでも,どこでも,誰でも」学べる社会ですがが,だからといって,学びたいという欲求も
ないのに,学ぶ権利があるなら行使しなければ損だとばかり権利を主張するだけでは困ります。
 いまは高校授業料無償化によって,高校進学の権利はかなりの部分まで保障されています。それでも高校へ行くこ
との意味を自分で考えようというのは,学ぶことの価値を認識する絶好の機会です。

 高校授業料無償化について,制度が始まったときにはなかった所得制限が自民党政権によって設けられてしまったのは
大きな後退であり,残念でなりません。親が裕福だからといって,必ず子供を高校へ行かせるとは限らないのです。
親の信念で進学させない例もないわけではありません。行かせた場合でも親が「誰のお陰で高校へ行っていると思って
るんだ!」式の権威を振り回さないとは限りません。
 あらゆる子どもが自分の権利として高校進学を保障されていることこそ,この制度の重要な点なのです。しかしその
権利を主張するだけで,学ぶ意欲を持てないまま卒業するのでは,せっかくの権利を十分に生かしたとは言えません。
まして,次に大学進学の機会を保障する段階へと進むときには,この点が極めて重要なポイントになってきます。
 ヨーロッパでは高等教育が無償であるのと比較して日本にもそれを望む単純な論法が使われますが,それは乱暴とい
うものです。あちらは,無償だからといって全員が行くわけではないのですから。大学で学ぶ意欲と,学んで得た力を
使って社会のために何かをしようという意思を持った者が,大学進学の権利を行使するのです。日本でも,そうした意
欲と意思を前提にして初めて,高等教育無償の議論を深めることができます。
 
 学びの意味を考えることは,自分たちの学ぶ機会を増大させる効果を生みます。日本が真に「いつでも,どこでも,
誰でも」学べる社会となるために必要な条件を,若者たちは徐々に身に着けてきているのではないでしょうか。
学ぶ意欲と社会に貢献する意思を持つ者のためならば,学習機会の提供にいくら予算を費やしたとしても,結局はそれ
が社会全体に還元されて高い費用対効果を生むのです。