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寺脇先生の教育論≪寺脇研先生の教育論≫【第39回】学習の成果を数値化できるという勘違い

学校では2002年依頼の「ゆとり教育」とレッテルを貼られた、その実は学習者本位に学ぶ喜びを追求するシステムが、ほぼ定着しつつあります。それに伴って、中学校の在り方も徐々にではあるが変わりつつあります。一方で大学は、18歳人口の減少が進むなか、それなりに自己改革しなければ生き残れない時代となっています。

その狭間にあって高校だけが20世紀と変わらない意識で過ごしているように見えます。

特に進学系高校の考え方が最も遅れている、と感じます。大学へ進学さえすれば責任が果たせる時代など、もうとっくに終わっているのです。大学に入ったからといって自分で学ぶ力がついていなければ講義についていけず途方に暮れるしかありません。さりとて講義をサぼってスポーツやサークル活動に興じていても就職できる、などということはあり得ません。大卒だからといって、自分で学んで人間力を身につけ、仕事に対する確固たる意識を持っていなければ、職に就けないのです。

 

「進学校」と自称する高校の先生方は、高校3年間にいったいどんな力を得てもらったつもりで卒業生を送り出すのでしょうか?いまの社会がどうなっているのか、これからの社会がどうなっていくのかを真剣に考えて、高校教育の在り方を抜本的に見直してほしいのです。

手本はいくらでもあります。総合学科の高校では生徒の選択を前提にカリキュラムを組むし、「産業社会と人間」の授業を通して自分と社会との関わりを考える機会が用意されています。農業、商業、工業などの専門高校では、それぞれの産業の現在と未来の状況をふまえて教育内容が設定されています。また、普通科でも「進学校」以外では、生徒たちが高校生活をきちんと修了できるように学ぶ側の立場をふまえたさまざまな工夫が凝らされます。「進学校」ブランドにあぐらをかいている学校は、そこを出た若者たちがブランドの威光など卒業後はまるで通用しないのに愕然としている実態が多々あるのをご存知ないのかもしれません。

旧制「○○1中」が地域の中心だった時代、その学校は明治なら明治、大正なら大正の社会の状況や将来の展望を考慮してすぐれた教育を行ってきたのです。旧制中学はその時点での先端教育を目指していたに違いありません。決してブランドに縋ってきたわけではないでしょう。その旧制中学から新制高校に切り替わって60年以上も経ちます。地域を代表する高校と自負するなら、ブランドではなくその地域で最も先端をいく教育をこそ誇るべきではないでしょうか。