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寺脇先生の教育論≪寺脇研先生の教育論≫【第21回】「シチズンシップ」で社会的存在感を!

「シチズンシップ(citizenship)」という言葉があります。

そもそもイギリスで盛んな考え方ですが,私流にひと言でいうと,「ええカッコしい」のこと。道で困っている人がいたときに,素通りするか,手を貸すか。手を貸す方がカッコいいに決まっていますが,「あいつだけええカッコして」などと言われるでしょう。それが「シチズンシップ」なのです。

日本語に訳すと「公人」。イギリスでは,この「シチズンシップ教育」がとても大切にされています。「シチズンシップ」は,「私」と「公」どちらも大切だとする考え方。どちらも大切だけれども,決して「公」あっての「私」ではありません。

まず先に「私」が大事。私が大事だけれども,自分さえよければいい,というのではないのです。

「私」が幸福になるためには「公」,つまり社会全体も幸福でなければなりません。だから自分は社会のためにひと肌もふた肌も脱ごう,というのが「シチズンシップ」の精神なのです。「日本や世界の人が幸福になるためにどうして私が尽くさなければならないのか?」という狭い考え方を捨てる,そういう教育のことです。

 

政府も「シチズンシップ教育」が非常に重要だと捉えていた時期があります。2000年に教育改革国民会議を招集した当時の小渕首相は実際にそういうことを語っていましたし,中央教育審議会も,「教養教育とは何か。すべての国民が持つべき教養とは何か」という議論をしていました。当時の根本二郎中教審会長が念頭においていたのは,まさにイギリスの「シチズンシップ」教育でした。

しかし小泉内閣になってそういう問題意識が消えてしまったと思います。国民も忘れてしまったのではないでしょうか。

 

ところで,「公人」として生きていくには,選挙で投票する行為が欠かせなません。

以前は,「うちは貧しくて,働くのに精一杯で投票に行く暇がない」という人たちもいましたが,現在のように夜8時まで投票できて,期日前投票もできて,という至れり尽くせりの投票者主体のシステムで投票に行かないというのは,単にサボっているだけです。私は投票しない人は国民としての権利を制限してもいいと思っているくらいです。誰にも入れたくないならば,白票を投じればいいでしょう。まずは選挙に行くこと,投票すること,それが誰にでもできる「公人的行為」です。

 

もう一つ,「公人」は,税金を納める人のことでもあります。

「ごまかしをしないでちゃんと納めましょう」という以前に,「課税されるだけの収入を得ましょう」「課税されるぐらいは働きましょう」ということです。裏を返せば,この社会は,誰でもきちんと真面目に働けばきちんと納税できるくらいの収入を得ることができる社会でなければなりません。

それは税金を100万円払っている人は,1万円しか払っていない人よりも偉い,という意味ではありません。働かずに誰かのお金で生計を立て,税金も払わない,その方が得ではあるだろうが,カッコよくないという話なのです。

「投票」と「納税」。この2つがそろって実行されてはじめて「公人」の資格を得たといえるのです。