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寺脇先生の教育論≪寺脇研先生の教育論≫【第20回】「共生の時代」を生き抜くために

「日本の教育はつまらない」とよくいわれます。子どもたちが「すごい」とも「面白い」とも思っていないのに,ただ単に教科書に書いてあることを教えるというのは「学習不在」,つまり「教育」ではなく「教育もどき」にすぎません。

大学でも,だれも講義を聴かずにほとんどの学生が携帯メールを打っている授業があるといいます。でも,私は多くの大学で授業をして,まだ一度もそんな光景を見たことがありません。きっと,教官側の「教育」と学生の「学習」がかみ合っていないから,だれも講義に耳を傾けないなんていう事態が起こるのでしょう。これも「教育もどき」です。

つまり,あくまで「学習」ありなのです。「学習」なき「教育」はあり得ない,と肝に銘じるべきでしょう。

 

その観点からすると,「生涯学習社会」を実現するために,何が必要であるかが見えてきます。「生涯学習」は,よく誤解されるように高齢者だけを対象にしたものではなく,いずれ高齢者になるすべての人をそもそも対象にしたものです。

しかし,社会の第一線を退いてから,「さあ,自分のために勉強するぞ」と思っても,それまでにそういう力がついていなければ,どうしていいか分からない。「濡れ落ち葉族」「バーンアウト症候群」など,定年退職後に途方にくれてしまう人たちをたくさん見てきました。自分の父親などその典型でした。自分で学び,自分で向上しようという訓練や経験を持っていない人が,高齢者になってからどうしていいか分からずに呆然とする。そんな老後はだれにとっても好ましくないはずです。

だから,子どもの頃から自分で学習する力を養うこと,それが「生涯学習社会」を作るときの前提条件となります。社会のほうも当然,その受け皿になるよう整備を進めていく必要があるのではないでしょうか。経済状況の厳しい家庭の子どもも,自ら希望すれば学習できるような場所を増やしていくこと。たとえば図書館など無償の社会教育機関を増やしていくといった施策のことです。

 

「生涯学習」の考え方は,誰でも向上していくことが出来るけれども,向上していくかいかないかは本人の意欲次第。行政はそのための制度やインフラは作るけれども,結局は誰も自分を向上させる責任を負ってはくれない,ということです。

子どもの頃であれば,親がその責任を持つでしょう。しかし,大人になってからは誰もそんなことはやってくれません。子どもの頃から受身で勉強するのではなく,自分から能動的に学習する力を養う,そういう学習スタイルを身につけること。それが「生涯学習」の第一歩ではないでしょうか。