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寺脇先生の教育論≪寺脇研先生の教育論≫【第2回】「ガバナンス」としての教育、「公共サービス」としての教育

あるシンポジウムで中央教育審議会の山崎正和前会長(大阪大学名誉教授・文化功労者)が「教育には2つのファクターがあって、ひとつは『ガバナンス(統治行為)』としての教育、もうひとつは『公共サービス』としての教育だ」とおっしゃっていました。

 

「ガバナンス」とは、学ぶ側がやりたいことをやるのではなく、この社会を存続させていくために、当然みんなが持っていなければならないコンセンサス(たとえば日本語の読み書きなど)を教育で学ばせるという考え方です。

昔はこの「ガバナンス」だけで済んでいたのですが、社会が成熟し、複雑・高度化してくると、今度は一人ひとりがいろんなことをやりたいというニーズが出てくるようになります。そうなると社会はその一人ひとりがやりたいことを実現できるサービスをやっていかねばならなくなります。これが、「公共サービス」という、教育のもう一つの考え方です。

 

この教育には「ガバナンス」と「公共サービス」の2つのファクターがあるという考え方に、私も同感していますが、「ガバナンス」という言い方で括ってしまうと、いかにも教育する側からの考え方になってしまうのが気になります。統治者にとっては「ガバナンス」であっても、実際に社会の基本的なコンセンサスを作る教育を受けずに困るのは、個々の人間だからです。

 

「九九」をやること、「読み書き・そろばん」をやることは学習者が好むと好まざるとにかかわらず、学習者のためになるわけですから、一見強制に見えますが実質的には学習者主体といえるでしょう。

「九九」が嫌いがという子に「九九」を教えたとしても、その子にとって意味のあるかどうか分からない教育を押し付けているのとは違い、本来学習しなければその子ども自身が生きていくのに困ることなのだから、決して学習者の利益を侵害しているわけではないのです。

 

要するに、教育には学習者が好む好まざるにかかわらず、学習者のために教えなければならない部分と、学習者が自分で学びたいと思う部分があるのです。

本当に大事なことを強制するのは、最終的にはその子どものためになるのだから毅然と行うべきでしょう。