教育関連記事
信じる。見守る。教えない授業。

今から30年前の春。中学3年生になった私は、生まれて初めて学校の先生以外の方に勉強を教えて頂くことになりました。

母と共に担任の先生と志望校について話し合った三者面談の日のことを今でも覚えています。

教室に入り、簡単な挨拶を済ませてから、母が出した志望校調査用紙を一瞥した私の担任の先生は、「牛嶋君はサッカー頑張っているから○○工業高校に行きなさい!」とニコリともせず言いました。

提出した調査用紙に書いたものとは全く異なる高校名があがったことに気を留めた母も、「これらの高校は無理ということですか?」と口にしていましたし、私も予想しない高校名が挙がってドキッとしました。

しかし、
「そういうことではなく、牛嶋君はサッカーを本当に一生懸命やっています。そのことを考えると息子さんには私が勧めた工業高校が向いていると思うんです・・・。」
と担任の先生は答えました。

その時の表情はちょっと硬い笑顔だった気がします。


ただ高校受験や志望校といった話題があがっても、他人事として捉えていた私は
「分かりました!僕は○○工業高校に行ってサッカー頑張ります。そして将来技術者になります!」と先生の言うとおりに志望校を書き換えたのでした。

 


さて、その晩帰宅した父に三者面談の話を報告したわけです。

「担任の先生から勧められたし、僕は○○工業高校を受けます」と報告する私へ
父は思い切り拳骨を食らわしたのでした。

「サッカー頑張れだと。成績が足りないから工業高校に行けと言われたんだ。孝輔、志望校はどこを書いて出したか覚えているか。お前にはそれらの学校どころか、普通科の高校は無理だと言われたのと一緒なんだぞ。悔しくないのか?」

 

志望校調査用紙に書く学校の名前を尋ねる母へ私は学区の1番手校、2番手校、3番手校の名前を伝えていました。「あなたには少し難しいのではないかしら、本当に大丈夫なの?」と言いながらも、母はそのまま志望校調査用紙に書いて提出していたのでした。

 拳骨をもらった頭の痛みをこらえていると、提出した志望校調査用紙を一瞥したときの担任の先生の顔が思い出されました。
○○工業高校を勧める担任の先生の笑顔が、母と私を嘲笑するように思え、情けなくて涙が止まらなくなりました。


サッカーが大好きだった私は、部活動の練習には熱心に取り組み、一日たりとも休むことはありませんでした。
日々部活動に明け暮れる一方で、勉強はほとんど手付かずという状況。特に成績が悪かった英語に至っては、恥ずかしながら中3にもなって、be動詞と一般動詞の区別もつかないほどでした。
定期試験には、出題範囲の教科書内容を丸暗記して臨むということを繰り返して何とか過ごしていたので、文法問題となると実のところよく理解できていなかったのです。
中1の「三単現」のあたりから分からなくなり、中2の「過去形」が加わると完全にお手上げ状態だっだのでした。


三者面談を通じて、私は勉強してこなかったことを痛烈に思い知らされたわけです。
英語だけでなく、勉強すること自体に自信がなくなり、他の教科もどんどん苦手意識に苛まれるようになっていました。

 

それから間もないある日のこと。ご近所の方の紹介で家庭教師のO先生に、週に1回・1時間、英語を教えて頂くことになったのです。

このO先生との出会いが私の人生を変えたといっても大げさではないかもしれません。
O先生は、英語が苦手だった私を英語好きに変えてしまいました。

これまで私は多くの先生に教わってきました。
しかし、O先生こそが私のロールモデルであり、O先生の指導スタイルが私自身の指導スタイルの礎になっています。

O先生の指導は「信じる。見守る。教えない授業。」と表現することができると思います。
(続く)